法と教育学会第2回学術大会

 2011年9月4日,学習院大学にて法と教育学会第2回学術大会が開催されました。私は,福井大学の橋本康弘先生と一緒にパネルディスカッション「発達段階と法教育」の司会役として参加させて頂きました。午前中の分科会・午後の川本隆史先生の基調講演を含めた大会の全体の感想についてはおって報告したいと思いますが,まずはパネルディスカッションについて報告します(以下は,一参加者としての私の個人的な感想です。)。

 

 パネルディスカッションでは,長谷川真里先生から,発達心理学が子どもの法的推論をどのように研究してきたのかに関して,道徳性と社会認識の研究の理論の変遷と具体的な研究例をご報告いただきました。道徳性・社会認識の発達理論においては,かつては段階理論(道徳性の発達は質的に異なる段階的な変化を示すと考える,皆が同じ経路をたどると考える,個別具体的な問題領域とは無関係な一般的能力の発達として捉える,などの特徴を有する)が唱えられていたが,最近の実証研究は道徳性・社会性が多元的な発達を示すということを示しており,段階理論の妥当性について批判がなされているというのが議論の大筋でした。


 多元的な発達という考え方を支持する研究として,発達は「領域特殊」であること(チェスの駒の配置の記憶と,数列の記憶とでは,人は異なるパフォーマンスを示す。),文化によって判断が異なること(年齢的成長にかかわらず,アメリカでは「公正」の道徳に従って判断を下す傾向にあるのに対し,インドでは「対人義務」の道徳に従って判断を下す傾向にある。),道徳の多元性(コールバーグのような「公正の道徳性」だけでなく,ギリガンのいうような「配慮の道徳性」の発達もある。),人は文脈で判断する(判断者による行為の評価は,その行為が置かれた前後の文脈によって異なり得る。),人は素朴理論(日常経験に基づいて構成されるその人なりの知識体系)に従って判断すること,判断における感情の役割(ハイトの「亡くなった飼い犬を料理して食べる」という例話に対する反応。喚起情報→推論→判断というプロセスではなく,喚起情報→直観→判断→推論というプロセスをたどる。)などを示した研究が網羅的に紹介されました。

 

 最後の方では,多元的な発達という観念を踏まえた最近の研究例(中でも,スピーチ大会という場面設定で,好ましくない内容のスピーチを制限することについての判断とその理由付けを分析することにより,「言論の自由」概念の発達について検討した長谷川先生の研究では,年少者では行為の制限を認めたことについて法による制限を認める傾向にあるのに対し,年長者では行為の制限を認めたとしても法による制限を必ずしも認めないという判断傾向が示されたとしています。長谷川真里「児童と青年の「言論の自由」の概念」教育心理学研究49号91頁(2001年)参照。)も紹介されました。

 

 以上の報告を踏まえて,パネリストの東京都練馬区大泉第六小学校の窪直樹先生,東京学芸大学附属国際中等教育学校の古家正暢先生,川崎医療短期大学の中原朋生先生からのご発言と質問がなされました。

窪先生からは,小学校教員として,発達理論の変遷を踏まえた法教育教材の見直しの必要性と,児童の発達を支援するような教材づくりのヒントへの期待が述べられました。古家先生は,中学校での法教育実践例を報告した上で,「発達段階と法教育」という問題の立て方自体に対する疑問(大人でも個人的な利害・心情に基づいて判断を歪めており,発達理論では説明できない問題があるのではないか)が提起されました。中原先生からは,アメリカの憲法教育研究からの示唆(中原朋生「子どもの公正概念発達論にもとづく立憲主義道徳教育」法と教育1号8頁(2011年)参照)についてご紹介された上で,今次の法教育の取り組みが,社会科教育の改善という問題だけではなく,より広い範囲での問題提起を含むものであるとし,これまでの身近な人々への配慮(ケア)意識養成の教育から脱して正義感覚に基づくより広い社会認識を求める点で重要であるとされました。その上で,正義感覚に基づく社会認識の問題と,身近な対人関係におけるケア道徳性の問題とは分けて考えた方が良いのではないかということ,また,これまでの小学校5年生までの教育では社会(システム)認識の教育が全く行われていないが,これを改めてもっと早い段階から社会システムの教育を開始することが望ましく,実際それができるのではないかということが問題提起されました。これらに対する長谷川先生のご返答では,正義感覚とケアの道徳性についてはそれぞれの領域で発達するものであるが,対社会=正義,対人関係=ケアとはっきり割り切れるものではなく,対人関係領域での判断からのアナロジーで対社会関係を理解するという面もあるというお話がありました。

 

 以上の発表の後,会場からの質問・意見と発表者による応答がなされましたが,多数の質問・意見が寄せられて活発な議論がなされたと思います。

 

 パネルディスカッションの最後に,橋本先生からまとめの話(!?)を仰せつかりましたので,次のような趣旨のことを述べさせて頂きました(以下は,実際に述べた言葉ではなく,その「趣旨」を釈明させていただきます)。

 

 1つ目は,コールバーグの発達段階の理論の記述理論としての妥当性が最近の研究(発達の多元性を示唆)によって否定されているということが報告から分かりましたが,コールバーグの発達段階論には,道徳性発達の発達過程の記述だけではなく,規範的な要素(より「一般的」な原理に基づく判断がより「高度な」発達段階である。)も含まれているように思われました。報告を聞くところによると,コールバーグの発達段階論の規範的部分の基礎を提供しているのは,R.M.ヘアの倫理学の観念である「指令性(prescriptivity)」と「普遍化可能性(universalizability)」であると思われます。配布資料によれば,コールバーグは,「指命性」及び「一般化可能性」がより高い(これらの観念が量的比較を許すものであるかは疑問があるように思われますが。)ほど,高度な発達段階であると考えるようです。しかし,ここで「普遍化可能性」ではなく「一般化可能性」という言葉が用いられていることが気になりました。普遍(universal)と一般(general)は異なる概念であり,道徳判断が一般的か(例えば「いかなる場合も嘘をついてはいけない」)あるいは特殊的か(例えば「○○及び××という事実関係の下では,嘘をつくことは許される」)は,その判断が普遍化可能(「普遍的な性質において全く同じ事例すべてに同じ判断を下すことを含意している」こと。ヘア(内井惣七・山内友三郎監訳)『道徳的に考えること』162〜163頁参照)かどうかとは別の問題です。コールバーグがヘアに依拠しながら「一般的可能性」を説いたのであれば,それは不適切であろうと思われました(※注)。

そのような観点から,コールバーグの段階理論に否定的な諸研究のいう「領域特殊」や「文脈」「文化」「道徳の多元性」などを見直した場合,仮にこれらが「事例」(事実)の差異に回収されるものであれば,それらは「正義」や「公正」などの概念の「普遍」性やヘアの説く普遍化可能性の概念自体を攻撃するものではなく,それとは別のコールバーグ理論の「一般的な判断がより高度な判断である」とする部分を攻撃する(「高度な道徳的判断は文脈の特殊性の考慮を要求する」)ものにとどまることになります。他方で,これが道徳的判断の普遍性自体を攻撃するならば,より根源的な批判であるということになりましょう(通常の実証研究がそのような射程を有することは想定し難いですが,川本先生の基調講演で紹介されたギリガンらの主張は,そのような根源的な問題をも提起するもののようにも思われました。)。

 以上のことから,これらの諸研究の意義と射程を見極めるためには,それがコールバーグ理論のどの部分を攻撃の対象としているのかを検討し見極める必要があると感じました。

 

 もう一点は,仮に社会倫理の領域において道徳の多元性(公正の道徳性とは異なるケアの道徳性など)があるとしても,法を含む社会制度の領域においては,やはり「正義」や「公正」が第一の徳目として妥当するのではないかと思われる点です。ロールズは『正義論』の冒頭で,「真理が思想の体系によって第一の徳(the first virtue)〔=何はさておき実現される価値〕であるように,正義は社会の諸制度がまずもって発揮すべき効能(the first virtue)である。」(ロールズ(川本隆史・福間聡・神島裕子訳)『正義論(改訂版)』6頁)と述べています。対人関係を含む社会倫理の領域においてはケアの道徳性も重要であるとしても,法・社会制度の領域においては,正義こそ「最重要の徳・効用」(同上)であり,もし法・社会制度が「正義に反するのであれば,改革し撤廃せねばならない」(同上)という「非妥協的な性質」(同上)を有するとすれば,ケアの道徳性と正義とは,多元的に両立するものではないということになりましょう。長谷川先生の言論の自由の概念に関する研究の成果も,社会倫理の領域(行為の禁止)と法・社会制度の領域(法による制限)で異なる道徳性が役割を果たすことを示唆するように思われます。

 

 これまでの道徳性の発達に関する研究の成果を法的判断の発達の領域にどれだけ,どのように活用することができるかを見極めるためには,なお両者の関係を検討し明確にすることが必要であるように思われました。法的判断の発達に関する心理学の研究が更に進み,法教育のあり方を考える上で有益な様々な示唆を与えてくれること,また,法教育の側でもその意義を十分に受け止めることにより,法教育のあり方に関する検討がなお一層深まることが期待されるところです。

 

※注 終了後,「コールバーグ ヘア」検索したところ,東京女子大学の江口聡先生のブログのこちらのエントリー(http://d.hatena.ne.jp/eguchi_satoshi/20080716)がヒットしました。参照させていただいたところ,コールバーグが普遍性と一般性との区別をし損ねていると,ヘア自身が批判しているようです。