法教育文献:大村敦志「法教育からみた民法改正」

 法教育関連文献情報として,NBL940号10頁に東京大学大村敦志教授の「法教育からみた民法改正」が掲載されておりますので紹介いたします。

 本稿は,法と教育学会で大村教授が報告された「法教育からみた利益考量論」とセットとなるものであり,「民法学が法教育に関心を寄せてきたことを示そうとする点,言い換えれば,日本民法学の市民法学としての伝統を発掘しようとする点で共通」(10頁)したものであるとのことです。

 大村教授は,民法の教科書には法学教育用(法学部学生向け)のほかに法教育用(一般向け)の系統があり,後者を末弘厳太郎の「民法講話」や穂積重遠の「民法読本」から「講話・読本系」と呼びます。

 「講話・読本系」教科書の特徴はより具体的・日常的な観点から民法を再編しようとしていることにあり,その背景には法の知識を求める人々の要求に応えるという意図があります。

 このような「講話・読本系」の系統の教科書では,上記のような理由等から民法の体系が大きく組み替えられ,例えば「人」「財産」「契約」「不法行為」というように,日常生活の実際に即して体系編成がなされています。

 現在進行中の民法(債権法)改正では「わかりやすい法典を」ということが語られていますが,民法学はこれまでも「講話・読本系」の教科書を発展させて,民法典のわかりにくさを克服しようと試みてきたといえます。

 このような文脈からすると「わかりやすさ」を犠牲にしてでも現在の民法典の体系を維持するのであれば,その理由が明示されなければならないとされます。

 以上のような大村教授の議論の全体についてコメントすることはできませんが,大村教授の論述は,「法教育」の観点から「法律学」のあり方を捉えなおす必要性のあることを論ずるものとして重要であると思います。

 法律学と法教育の関係は,法律学が法教育のために「教えられるべき知識」を供給するという一方向のものではなく,法教育から法律学が「教えられる」こともあるのだと思います。

 この点,例えば憲法学の佐藤幸治教授も,法教育を視野においたときに「『君たちや君たちの親が日常生活の場で『人権侵害』だと言うことがあると思う,また,先生が君たちにいじめをするなと言ったりすることがある,しかしそれは憲法に言う『基本的人権』とは何の関係もないことなんだ」,こういう前提で子供たちに「基本的人権」を教えるということができるのかどうか」として,憲法学の方に考え直しの必要性のあることを指摘しています(「日本国憲法の保障する[基本的人権]の意味についてー法教育との関連において」(大村敦志・土井真一編著『法教育のめざすものーその実践に向けてー』所収))。

 大村教授や佐藤教授のような指摘は,法律専門家と一般市民との間の双方向的な営みとしての法教育のあり方・意義をよく明らかにしてくれるものであると思います。

(公開後追記)

 本稿に関連して,大村敦志・土井真一編著『法教育のめざすもの』の書評で,吉村良一教授が次のとおり論じられておりました(「民法学のあゆみ」法律時報82巻12号122頁以下)。

 

……法(私法)教育と民法学の関係について若干のことを述べておこう。この点に関しては,法教育に民法学はどのような寄与をなしうるかという視点と,法教育を考える(取り組む)ことにより民法学は何を得るかという両面からの検討が可能である(なお,このような問題設定は,法学研究と法学教育と法教育の本質的共通性を前提とした上で成り立つものであり,研究と切り離された法技術の教授や試験のための教育が法学教育であるという見解や,市民や生徒を対象とした法教育と専門教育としての法学教育は異質であるとの理解にたてば,法教育と民法学という問題設定自身が無意味なものとなろう)。

 

 ここでも法律学と法教育との双方向の関係に言及されていますが,その前提としては「法学研究と法学教育と法教育の本質的共通性」の有無が問題となるとされています。

 このような問題の検討は,今後の「法と教育」学の重要な課題であると思います。