法教育:「法と教育学会」報告その2~基調報告

 「法と教育学会」報告の第2弾。午後の部の大村敦志先生の基調講演についての感想です。

 大村先生の基調講演は「法教育からみた利益考量論」という題でのお話でした。大村先生はこれまでもたびたび法教育についてのご講演をされており,それらも収録したご著書である『「法と教育」序説』も最近発表されています。大村先生のこれまでの講演でも,民法学の伝統の中に「法教育」的なものを再発見して,それを今日の法教育について考察する上での資源として活用するという方法が見られたように思います(例えば上記の「序説」では,末弘厳太郎,我妻榮,穂積重遠らによる市民向けの法の普及活動などに言及されています)。今回のご講演は,民法学の方法論として1960~70年代に提唱された「利益考量論」を法教育について考えるための資源として再評価するものと,私なりに理解いたしました(以下は,あくまで私が理解したなりの講演の内容であり,大きな誤解等あるかと思いますがご容赦ください)。

 大村先生は,一口に「利益考量論」といっても一枚岩の考え方ではなく相異なる複数の理解があり得るが,法教育の観点からは,1つには,既存の法制度を「説明」するための利益考量論と望ましい法制度を考える「当為」型の利益考量論という対比が,2つめには,法制度自体や具体的なケースを考察の対象とする「直接型」と法制度の背後に遡った一般的考察を行う「間接型」という対比が重要であるとします。

 このような比較考量論の視点を法教育に応用すると,「説明・直接型」の利益考量論は,現在ある法制度やその働きについて納得して受容するという「共感」のための視点を提供します。例えば「故意過失によって他人の権利利益を侵害したら賠償しなければならない」という不法行為法のルールは,仮にそのようなルールがなかったら誰の利益が害されるかを,当事者の立場に立って考えてみることによって,よく理解し「共感」することができます。更に,なぜ不法行為法のルールが妥当するか,どこまでそれが妥当するのかというようにより一般的に考察する際には,法制度の背景にある利益状況まで考察する「説明・背景型」の利益考量論となり,法「探索」の視点となります。

 「当為・直接型」の利益考量論は,現にある法制度について「守るべき利益を考慮していない」というように法「批判」の視点を与えます。そして「当為・背景型」は,ある法制度のあり方を考えるに当たって,類似の制度と比較したり,諸外国に目を向けた比較法的な検討を行うなどの背景に広げて利益考量を行うことにより,あるべき法を「構築」するための視点を提供します。

 このように,民法学における利益考量論の考え方は,法教育の視点としても導入し得るものであり,法教育と法学教育の連続性をもたらします。また,利益考量論は,もともと輸入品であった法制度を,日本社会のものとして受容し変容するための視点を与えます。更に「利益」という基準は単純で分かりやすく,普遍性を有するものであるため,法教育の視点として用いるのに適しているといえます。

 以上のような大村先生のご講演では,まず,利益考量論の考え方を法教育の視点として活用し得ることを示すことを通じて,法学教育と法教育の営みが連続性を有するものであるということを指摘した点が重要であったと思います。また,利益考量論の理解における対立・対比の視点を用いることによって,法教育における法へのアプローチの様々なあり方(共感・探索・批判・構築)を示した点も参考になるものと思います。

 講演を聞かせていただいて私が疑問に感じたことは,なぜあえて「利益」考量論であるかという点です。講演では,代理懐胎をめぐる法的問題(代理母が出産した子どもの母親は誰か?)をハードケースの例として取り上げて,このような場合に法「批判」や「構築」を行うには,契約制度や養子制度などの関連する他の法制度にも視点を広げて利益考量を行う必要があるとされていました。しかし,代理懐胎のようなセンシティブな問題は「利益」という基準で論ずることはなじまないように思います。また,様々な「利益」のすべてを数量的・序数的に比較できるわけではなく,「利益考量」が一定の正解を導くものでないとすれば,あえて様々な考慮要素を「利益」のタームに還元する必要もないように思います。代理懐胎のようなハードケースについて考える際には,ドゥオーキン(Ronald Dworkin)のいうような「原理(principle)」による論証が相応しいのではないかと思いました。

 この点について,恐縮ながら大村先生に直接質問させて頂きましたところ,確かにそのような疑問は生じ得るが,1つには,利益考量論についてそれが説かれた文脈(それ以前の教条的な民法学に対するアンチテーゼとして)を踏まえて評価をする必要があるということ,2つめには,やはり「利益」という規準は市民にとって分かりやすく,例えば自分の「利益=権利」を侵害された市民が法的救済を求めるというように,市民と法をつなげる概念として役立つものであるということを補足としてご説明いただきました(どうもありがとうございます!)。

 講演の様子を写真に撮ることもなかったために,文字ばかりの味気ない報告になってしまいました。午後の部のシンポジウムについては,また第3弾として報告させて頂きたいと思います。